彼の生きる道、プロローグ2

一日考えた挙げ句、決定ー

高校に入ってから、元々早かった球速が更に速くなり
3年の夏を迎える頃には、140台後半まで伸びるか、という程までになっていた。
しかし、高校では周りがあまりに激戦区だった事もあり、常に県予選で
燃え尽きる戦いが続き、甲子園に出場したのは3年の夏の1度、そこで
3回戦に敗退する事になる